Asobi

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遊び心を忘れずに、笑顔を生み出すデザインをしていきたい

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asobiとして活動を初めて早いもので4ヶ月ほどが経ちました。今はまだスローペースですが確実に新しいことに挑戦出来ている、充実した日々をすごしています。今回は独立してすぐに自分の気持ちを客観的に整理するために受けたインタビューの原稿が出来ましたので紹介させていただきます。(インタビュー、撮影:濱田真里)

 

“asobi”に込めた思いとは

 

濱田:2015年の6月に「asobi」を立ち上げられましたが、名前の由来を教えて下さい。

山本:由来は3つあります。ひとつ目は、私のデザインが「遊び心」のあるものが多かったこと。2008年に「化石化学」という意味を持つデザインユニット「taphonomy」を組みました。時間が経つにつれ、削ぎ落とされて残るものをコンセプトにした作品を作りたい、と思ってこの名前にしたのです。ただ、デザインコンペに出すために作った作品は、洗練されたものよりも遊び心のあるものばかり。しかも、そういう作品の方が賞を受賞していき、「遊び心のあるデザイン」が次第に私のなかでテーマになっていきました。

ふたつ目の由来は、「遊び」に含まれる工学的な意味、「入力しても反応しない領域」、「必要なもの」という意味を自分の行動に当てはめたいと思ったからです。たとえば、車にはブレーキを少し押しても反応しない「遊び」の部分が存在します。この部分があるから防げる事故がたくさんあります。また、電車の線路の鉄をガッチリ繋ぐと、衝撃を受けた場合や膨張等で壊れる可能性がありますが、少し隙間を作ると、それを避けることができます。私は非常に真面目に考える性格で、突き詰めて物事を考えてしまうこともしばしば。だから、こういった適度なゆるさや隙間、イコール「遊び」を自分の性格にも取り入れようと考えています。

みっつ目は、「笑顔を生むためのデザイン」をしたいと考えているからです。笑顔を生むためには、真面目すぎるのではなく遊び心が必要です。笑顔に繋がるものを作ることには、こだわりを持っています。

でも、ここだけの話、Asobiではなくデザインセクトという名前も候補にあったのです。名前を分解すると、「デザイン×インセクト(虫)」。私は子どもの頃から生き物が大好きで、昆虫博士になりたいと思っていたほど。生き物の形は、生きるための必然が結集されていて、全てに意味があります。だから私は、生き物はとても美しいと思うのです。

 

 

人の笑顔を創りだすためのデザインをしたい

 

濱田:笑顔に強いこだわりを持たれていますが、そのきっかけは何でしょうか?

山本:私には、「常に笑顔である」という癖があるのですが、それによって相手が喜んでくれると気付いたことです。笑顔を意識しだしたのは、大学時代に友人たちに、「いつもニヤけてる」とネタにされてから。その時は、自分の実際の
気持ちと相手に与える顔の印象のギャップを知って驚きましたね。でも、人って誰かの笑顔を見ると自分まで幸せな気持ちになるもの。だから、自分が笑顔でいるだけで相手が喜んでくれることが嬉しくて。ただ、ニヤけてはいけないシーンでニヤけると、大変なんですけどね(笑)。

濱田:大学卒業後は京都の旅館で働かれていたとのことですが、まさに接客業は笑顔が必要とされますよね。

山本:そうですね。接客は自分から相手を笑顔にする仕事なので、とても楽しかったです。旅館で働き始めた理由は、今後デザインをしていくために、使う人の気持ちを理解する必要があると思ったから。日本独特のデザインに興味があったので、旅館であれば器の使い方や席の配置の仕方、花の生け方など、色々学べると思ったんです。接客もしていたのですが、やはりデザインの仕事もしたくて、自分で旅館のオリジナル商品を作ったりしましたね。旅館は元々3年で辞めるつもりだったので、きっちり3年で退職。日本の伝統的なものを学んだ後は、海外の感覚を学びたいと思い、英語を勉強するためにフィジーに8ヶ月間留学しました。

日本ではものの本質を追求したシンプルなものが好まれる一方、フィジーは発展途上国なので、高価な雰囲気の宝石や装飾品がたくさんついたギラギラしたものが好まれる現状がありました。本当に良いデザインとはなんだろう、とモヤモヤしましたね。また、フィジーの人たちはみんな人懐っこくて、仲良し。色んな場所で椅子に座って話をしている様子が見られます。そこで改めて実感したのが、「家具は人の生活に密着しているもので、それがあるから楽しい空間が生まれる」ということ。また、家具は容易に買い替えられないので、長く使うものとして大事に使われます。人と繋がり、笑顔が生まれる場所、そこに私がデザインしたものがあったら最高だなと思い、それ以降は家具作りを強く意識するようになりました。

 

 

その時々に突き詰めて、自分の進路を切り開いてきた

 

濱田:フィジー帰国後はどうされたのでしょうか?

山本:帰国して東京のシンプルモダン家具の会社に入社し、1年間デザイナーをしました。ここの家具テイストは、素材に金属や革を多く使用した、まさにフィジーの友人たちが喜びそうなカッコイイ、高級感のあるデザインのもの。私の好みとは違ったのですが、フィジーの友人に家具に対する憧れを持ってもらいたいと思い、この会社を選びました。1社目の旅館では先輩がいなかったので、この会社で初めて先輩ができ、デザイン哲学を叩き込んでもらえたのは非常に良かったです。しかし、1年で転職を決意しました。

濱田:早いですね! 何か理由があったのですか?

山本:転職理由は3つあります。ひとつ目が、親や友人にも自分の商品を紹介したいと思った時に、金属に革張りの椅子はなかなか薦められなくて。もっとリーズナブルで、扱いやすいデザインのものを作りたいと思うように。ふたつ目は、私はデザインをする時、使う人の気持ちになる必要があると考えているのですが、正直なところ、金属に革張りの椅子を購入する人の気持ちがわからなかったんです。3つ目は、当時私はデザインをするだけで、設計図などは工場の人が担当していたのですが、もっと制作現場のことも知りたかった。だから、これらができる家具会社を探して転職をしました。

濱田:問題意識を持ち、それを解決できるような方向性を探した結果、転職されているのですね。

山本:そうですね、毎回意味のある転職をしていると思います。その後に入社したのは、有名な家具ブランドのインテリアを取り扱っているファブレスメーカー。マーチャンダイザーとして入社し、生産管理として実際に家具を作るところからそれがお店に並ぶところまでを担当しました。しかし、ここでは段々と「この木材は正確には何の木なのだろう?」という疑問を持つように。誰に聞いても詳細がわからず、素材がわからないものを使うことに違和感を持ち始めました。そんな時に出会ったのが、3社目の国産材家具を中心に取り扱う家具ブランド。木に対するこだわりが強く、まさにここだ!と思って入社。ところが、木への取り組みはすごいのですが、家具のデザインやお客様が求めているものに対しての考えは、以前の会社の方が熱心だった。また、この会社は良いものを長く使うという考え方なので、気軽に買えるような値段の商品はありませんでした。持論ですがインテリアというのは、模様替えも魅力のひとつだし、色々試してみるうちに自分に合うものがわかっていくもの。そういう遊びのような部分がなくてデザインを楽しめるのか、という疑問が沸いてくるようになったんです。

当時は、務めている会社以外に「taphonomy」としての活動も始め、個人としてブランディングやグラフィックの仕事もしていました。しかし、段々個人としての仕事が増え、1年後には会社の給料よりもいただくように。このまま貯金をしながら独立準備をするという選択肢もあったのですが、自分の力をもっと試したいと思い、独立をして今に至ります。

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デザインは、自分にとって楽しいもの

 

濱田:現在デザイナーとして活躍されていますが、いつから興味を持たれたのでしょうか?

山本:高校生の時にインテリアブームが到来し、たまたま見た「モテる男の部屋作り特集」的な雑誌に掲載されていた家具がかっこ良くて、「こういうものを作りたい!」と思い、デザイナーに興味を持ち始めました。当時私が見たデザイン関連の雑誌に掲載されていたデザイナーたちは、「口紅から機関車まで」というキャッチフレーズの人がいるくらいオールマイティーにデザインされていたんです。これは、まさに私の理想のデザイナーの在り方。今はインテリアデザイナー、家具デザイナー、グラフィックデザイナー、Webデザイナーなど、かなり細分化されています。だから、デザインの専門学校と大学で学科選択する時にかなり悩み、結局空間デザインの学科に入りました。

濱田:大学時代に力を入れていたことを教えて下さい。

山本:デザインコンペティションによく応募していました。デザイナーズ携帯が出てきた頃で、携帯デザイナーではなく他分野のデザインをしている方がデザインしたものも「デザイナーズ携帯」と呼ばれていたんです。他分野なのに、と思う反面、「私もこういうものをデザインしたい」という憧れもあった。だったらやってみようと、応募するように。初めて出したのが大学で募集のあったサンスターのシャンプーボトルのデザインコンペティションだったのですが、なんと最優秀賞を受賞。幸先の良いスタートで自信がついたおかげか、他のコンペティションでも受賞が続きました。コンペティションでは、何日も悩み抜いた結果出るような本気のデザインと、パッと思いつきで作るデザインの2種類を出すことが多かったのですが、私が受賞してきたものは、ほとんどが後者。ただ、多くの受賞歴があっても、実際に製品化されたものはないんです。デザインするのだったらちゃんと形にして、それを通じて笑顔を生み出したいという思いもありました。

濱田:そういった思いもあって、今回独立の道を選ばれたのでしょうか?

山本:はい。私は、自分のことをデザイナーだと思っているので、自分がデザインしたものを製品化したいと思っています。でも、先輩デザイナーからはクリエイティブディレクターの方が向いていると言われることが多いですね。「デザイナー」という響きが好きで、憧れもあってこの名前を使っているのですが、今実際にやっていることはコンサルダントやクリエイティブディレクターに近いかもしれません。でも、これらを僕はデザインだと思ってやっているんです。だから、普通の人からはデザイナーと呼ばれますが、その道のプロから「それはデザイナーじゃないよ」と言われたら、「これはデザイナー遊びです」と言うこともあります。自分のやっていることを納得できる形で言葉に落とし込んだ時に出てきたものが「遊び」だっただけ。たとえば、ボール遊び、将棋遊び、ドロ遊びなど、「遊び」という言葉は何かの名刺につくと軽い印象になりますよね。私は、デザインオフィスをカチッとするのではなく、デザイナー遊びと称して楽しくしたいと考えています。デザインは、楽しいものですから。

濱田:山本さんの、今後の方針について教えて下さい。

山本:正直、自分でもどうしたいのかよくわからないんです。というのが、やりたいことが多過ぎて。仕事で人にアドバイスをする時は、全部やるのは難しいから優先度を決めてやっていきましょうと言っているのに、いざ自分で自分をコンサルティングする側になると、なかなか難しいものですね。自分の抱えている思いがどんどん出てきて、的確な方法論に落とし込まずに悩みに悩み抜いてしまいます。でも、今はこの状況でいいと思っています。というのが、ここで私自身がこの気持ちを経験しておけば、今後何かのブランディングをする際に、同じ気持ちを理解できると思うから。今悩んでいることも、決して無駄にはならないはず。会社名と同じように、ある程度の遊びを人生に持たせながら、前に進んでいきたいですね。

2015年6月15日

【インタビュアープロフィール】

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濵田真里 (Hamada Mari)

『なでしこVoice』代表 『アブローダーズ』編集長 1987年宮崎生まれの埼玉育ち。2012年早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒。大学3年次に1年間休学をし、世界の現状を見るために6カ国でボランティアをしながら世界22カ国をバックパッカーで旅する。その後の就職活動中に海外就職情報があまりにも少なく自らが困った経験から、大学5年次に世界で働く日本人女性のインタビューサイト『なでしこVoice』を立ち上げる。 海外まで自分で足を運び、 女性に直接インタビューすることをモットーとし、現在までにインタビューした人数は500人以上。 大学卒業後は通信事業会社、編集事務所を経て、現在は立ち上げから5年目を迎えた『なでしこVoice』の運営を継続中。また、(株)ネオキャリアの社員として、アジアで働きたい日本人を応援するサイト『アブローダーズ』の編集長も務める。「早稲田人物名鑑2015」に選出。また、イタリアで開催された国際会議「Global WIN Conference2015」にて、唯一のアジア人奨学生として選出。